先日引退を発表した稀勢の里💡
とにかく「超絶スピード出世」でしたΣ(・ω・ノ)ノ!
2002年3月(春場所)・・・初土俵←15歳
2004年5月(夏場所)・・・新十両←17歳
2004年11月(九州場所)・・・新入幕←18歳
2006年7月(名古屋場所)・・・新小結←19歳
一目瞭然!!
こんな感じで、10代のうちに早くも三役昇進!という快挙を成し遂げた力士でした💡
ところがねぇ~、、、この後がなかなか大変で(◎_◎;)
2011年11月(九州場所)・・・大関昇進←26歳
という感じで、結構時間がかかりました⏰
入門のキッカケの(声をかけてくださった)先代の鳴戸親方急逝の直後のことでした・・・・・💧
さらにこの後の横綱昇進にも苦労が多く………💦
2017年1月(初場所)・・・横綱昇進
大関から横綱になる間、「5度の綱とり失敗」があり・・・・・💧
それを経ての横綱昇進だったんだけど、、、
う~ん・・・・・
横綱昇進の決め手は「その場所、14勝1敗で幕内最高優勝」したから💡というもの(^-^;
それまで結構横綱昇進の条件は「2場所連続優勝」などと言われたりしていたけど、そうすると全然昇進させられないから、年々条件が緩まっている件・・・www
稀勢の里、当時たしかにある種の準優勝系が続いてはいたけど、、、優勝は1場所だけだった・・・(-_-;)
だ~か~ら~、結構無理矢理の引き上げだった…と前回書いたの💻
この、「新入幕から73場所で初優勝」という記録は、≪史上2番目の遅さ≫で、
「新大関から31場所での初優勝」という記録は、≪昭和以降最も遅い記録≫だそう😨
不名誉なほうの記録はまだまだあるのでまとめてみますね💦💦
◎横綱在位12場所・・・昭和以降10位タイの短命横綱( 一一)
◎横綱で8場所連続休場・・・三代目西ノ海に並び、昭和以降1位( 一一)
◎横綱休場率8割1分8厘・・・年6場所制定着の58年以降ダントツの高さで、三代目若乃花の5割を大きく引き離す( 一一)
◎横綱勝率5割・・・4日目のvs錦木戦が不戦敗となったことで、横綱在位中の勝敗が36勝36敗。ジャスト5分に。
◎金星配給数・・・横綱在位12場所で合計18個配給。2017年九州場所では、2001年秋場所の武蔵丸に並びワーストタイ。1場所5個配給。昨年初場所では、かつての宮城山以来87年振り2場所連続で3日連続金星配給と量産。先場所も2日目から3日連続で、今場所も2&3日目に金星配給Ω\ζ°)チーン
・・・・こう考えてみると、改めてこの12年はハンパなく大変な日々だっただろうなぁ…とお察しいたします<m(__)m>
そもそもどうして、【横綱級だった昔があるお相撲さんがいざ横綱になったらこうなってしまったのか…】について💡😢💡
これについては、稀勢の里はプレッシャーに弱いタイプだからではないか…とか、先代の師匠だった鳴戸親方が厳しい方で、10代だった稀勢の里にとって期待がかかりすぎたから…とかいろいろ言われていますが、、、、、本当の理由はわかりません💦
ま、不名誉な記録があれば超人的記録もある稀勢の里💡
大関としては後世に残る好成績でしたよね(^o^)丿
31場所で2ケタ勝利はなんと24度を誇り、カド番はたったの1度だけ🌟
大関時代だけを言えば、332勝133敗=勝率7割1分4厘💎
準優勝的成績も12回(関脇時代1度を含めて)あったし…優勝も1回はあったし…🎵
休場だって、横綱昇進までは14年に1度あっただけ(^^♪
16年の時は年間69勝を挙げて、優勝無しで初めての年間最多勝を獲得したんですよね👑
本当に鉄人だっただけに残念ですね💦💦
かつて…の話にはなりますが、、、
どうして昔はVICTORY☆、稀勢の里に注目していた「時期があった」のか・・・
これはね、あのプレコテ白鵬をやっつけてくれる日本人力士がこの稀勢の里か…あと安美錦くらいしかいなかったからなのですよ^^
プレコテがやっつけられる度にギャーギャー騒いでいたVICTORY☆(笑)
・・・懐かしいね、、、、うん💧
近年はもう全然そんな姿は見れなくなって・・・・・しょぼーんでした😢